(当記事でご紹介の「電気読書座」さまは、役割を終え閉店なさいました。これまでありがとうございました。)静岡市で開かれた一箱古本市に出店した際、ブックカフェ「電気読書座」様に拙著をお買い上げいただきました。お礼かたがた、カフェを訪問し、今度ホームページでご紹介させていただきたいと申し入れながら、だいぶ時間がたってしまいました。
まずは以下の写真で店内の様子をごらんください。読書好きにとっては、まさに理想の空間だと思いませんか。整理の行き届いた本棚に、良書が整然と並び、ゆったりしたソファで、コーヒーを飲みながら好きな本が読めるのです。日当たりのよい窓際の席もあります。そういえば、BGMにジョン・コルトレーンが流れていました!
オーナーは静岡市清水区で獣医さんをなさっている方で、昨今の閉塞した世情を少しでも活気づけたいと私財を投じてお店を開く決心をされたそうです。店内に、オーナーのメッセージがありましたので合わせてご紹介します。殺伐とした世の中で、こうしたオアシスを見つけると本当にほっとしますね。みなさんも、静岡市にお立ちよりの際は、是非、電気読書座で一息入れて下さい。
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19世紀フランスの詩人ボードレールは、その後生(こうせい)である天才詩人ランボーから「詩の神」と称賛されたほどの人物である。しかし、著名であるからといって現代人、特に詩を読みなれない者にとって、彼の作品が興味を持って読めるものかどうか、というのは別の話である。かく言う私もある事情から、ボードレールを読み始めたのだが、正直なところ『悪の華』は、一篇々々、まずは文章として理解するのに骨が折れる。また、文法的に読めたからといって、今度は多用される、象徴や隠喩から何が受け取れるかという問題が発生する。そうした中、同じボードレールの作品でも『パリの憂鬱』という散文詩の方は、翻訳の堅苦しい日本語を突破すれば、普通の読み物として受け取れ、しかも、なかなか興味深いことが分かった。
私は特に「スープと雲」というタイトルの散文詩に惹かれた。それは、恋人に夕食に招かれた主人公が窓際から、雲という「神が水蒸気をもって、作り給う、動く建築、手に触れ得ぬものの驚嘆すべき構築物」を眺めていると、その恋人に背中を叩かれ現実に引き戻されるというごく短い話である。
この話にはいくつもの興味深い示唆が含まれているのだが、一つご紹介したい。雲というのは、長時間眺め続けていると、通常一瞥しただけではわからない、奥行きがあることに気づくものなのだ。これは、言葉で読むだけではなく実際に体験してみるとよくわかる。眼の機能と脳内での立体認識の時間差が要因にある現象と思われるが、少し大袈裟に言えばちょっとした「覚醒」をもたらす体験である。おそらくボードレールも、このことに気づいていたのだろう。詩人と時空を超えた共感が得られる一瞬である。
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K's Cinemaで映画『たまらん坂』を鑑賞しました。これは黒井千次の同名小説をベースにした作品です。もっとも、小説はあくまで物語の切っ掛けで、映画では独自のストーリーが展開されます。映画のヒロインは、「たまらん坂」の由来を追及する小説の主人公と自分を重ね合わせ、心の「故郷」を追い求めてゆくのです。彼女にとっての「故郷」とは生き別れた母親の幻影でした。
実は、この映画を見るまで、「たまらん坂」という地名が武蔵野に存在することを知りませんでした。異国の仔細な知識に詳しいわりに、身近な土地の歴史はおろか名前すら知らない自分に気づかされました。「無知の知」は、この映画の一つのキーワードですが、まさに地をゆく話です。見回せば、「計算尽くの集金マシーン」のような映画が跋扈する中、七年の歳月をかけて作成されたという本作には、例えていうならイタリアの靴職人が丹精込めて作り上げた一点もの、のような気品があります。それが大学の実習から始まったと聞きまた驚きです。英国の映画祭で賞まで受賞しているのです。
学生の一時期ポストモダン思想にかぶれた私は、「起源」や「真実」といったものが「幻想」に過ぎないという議論を好んでいました。しかし、そんな考えを持って実社会に出ると、とたんに不都合が生じて「たまらん」ということになります。そうしたとき、映画に登場する体制の権化のような指導教官は「詭弁」を用いればよいと主人公に教唆します。しかし、それに納得できない彼女は、「真実」を求め心の旅に出ます。その果てに、「故郷の不在」とも「詭弁」とも異なる答えにたどりつくのです。と、私はこんな見方をしました。
原作者の黒井千次が舞台挨拶に来場していました。その軽快な語り口と物腰から、「たまらん」という言葉はもしかしたら、ある意味「余裕」が込められた呪文なのではないかと思い至りました。耐えかねて我慢の限界を突破してしまう前に「たまらん」と一呼吸入れて自分を取り戻す。プロデューサーである武蔵野大学国文科の教授が、パンフレットの一文で「この映画を製作しているとき、私の脳内はディストピアだった。」と胸の内を吐露していました。きっと何度もこの呪文をつぶやいたことでしょう。
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