書肆ミスカ コラム


 


 

老荘の棲み分け

同じく宮城谷昌光著『三国志』に、五斗米道と関連で「黄老思想」という用語が出てきました。それを見て、老荘思想とひと口に言いますが、荘子は、前述(6/30付コラム)の「乱世の官のための処世術」、老子は民間の処世術といった棲み分けがあるのではないか、とふと思いつきました。一方で、『荘子 内篇』の巻末にある福永の解説によると、荘子と老子を比較すれば、荘子の方がより哲学的で老子の方が処世術としての性格が強いと説明しています。同じ文献でも切り口により見え方が違うのは当然ですし、思いつきとに矛盾する話でもないのですが少し気になります。機会を見て実際に老子にもあたってみようと思います。同じちくま文庫から福永の訳が出ています。
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最近の愛読書

上田早夕里の小説は愛読書のひとつです。『ヘーゼルの密書』から読み始めましたので、なかでも特に、上海三部作に関心があります。もちろん『上海灯蛾』は発売日に購入しました。架空の物語ですが、丹念に背景を調べ上げた上で世界を再構築していることが垣間見られ好感が持てます。上田作品には、絶望的な世界の中でも、最後まで人間への期待を失わない態度を感じます。昨今の内外の政情を見るにつけ、現実世界においても重要な精神だと思います。
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クエンティン・タランティーノ著『その昔、ハリウッドで』

クエンティン・タランティーノの『その昔、ハリウッドで』を読んでいます。映画は、何度か劇場で見直しました。シャロン・テート事件、などと言っても既に大昔の話ですが、鬼面人を嚇すような、悪魔的な事件が、フィクションとはいえこうして活劇で笑いとばされるのを見るのは痛快です。おそらくエーコの『プラハの墓地』(6/21付けコラム)と通じるものがあるかと思います。
 まだ読了していませんが、小説は映画と異なるようです。映画ではぼやかされていた設定が、明示されている箇所などがありました。
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田中文雄著『夏の旅人』

以前、読んだ本を読みかえそうとしたとき、時々「おや」と思う本が入手困難になっていることがあります。時節がら、というわけではありませんが、ふと、田中文雄の『夏の旅人』のことを思い出しました。思い違いかもしれませんが、たしか当初、ラジオ小説で聞いた気がします。ホラーとは言うものの、懐かしさともの悲しさが入り混じったような読後感のある美しい作品です。時折、引き込まれるようにして読み込む小説に出会うことがありますが、この短編もその一つです。
 近辺の図書館に所蔵がありませんでした。国会図書館で、デジタル版を閲覧できるようです。
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「見つけにくい本」考

入手しにくい本と言えば、以前、田口賢司の『ラブリィ』が見つからず、意外に思ったことがあります。大分前のことですが、『メロウ』が出てしばらくしてからですので、2000年代の後半頃でしょう。その時ふと思ったのは、80年代後半から90年代前半頃に出版された本は、当時の時点で古書と呼ぶには新しく、とはいえ一般書店に置くには時間が経っており、需要も供給も不確実な宙づりとなった部類の書籍なのではないかということでした。
 しばらくして、古書店巡りをしていたとき、その頃の書籍ばかり集めた、いわばインディーズ的な書店を見つけ、我が意をえたりと思ったものです。
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美味しい中華菓子

ちょっとした読み物をおやつを食べるように読みたいと思ったとき、『聊齋志異』ほど、最適なものはありません。通読よりむしろ、ページをめくり目についたものを読む、という気軽な読書が楽しめます。また、一篇一篇の分量がこれぐらいですと、付け焼刃の漢文訓読でも、原文にあたり翻訳を参照しながら何とか読みこなすことも可能です。翻訳は色々ありますが、やはり平凡社〈奇書シリーズ〉の上下巻が手元にあると原文にあたるときに重宝します。転生を待つ縊鬼(順番待ちの幽霊)の青年が、せっかくのチャンスを捨て、河で溺れて交代するはずの子供を助ける一幕は、私が好きな話の一つです。
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稲垣栄洋著『植物に死はあるか』

ときおり、普段あまり手にしないジャンルの本を選んで読んでみることがあります。ある程度興味の範囲は決まっていますので、そこから外れた本を探すことは左程難しくありません。全く興味が無かった分野で当たりを引くこともありますし、いつか読もうと思っていた分野の本をよい機会とばかりに探してみることもあります。今回ご紹介するのは後者です。植物は気になる存在なのですが、視点が、実務的な園芸、博物学、植物学等々、多岐に渡り、これはと思う入口が見つからないでいた分野です。そうした中、新刊で出たばかりの稲垣栄洋著『植物に死はあるか』に、たまたま行きあたったのは幸運でした。
 同書は、哲学的な切り口で植物に関する考察を語ります。読み物としても面白く、色々と考えるものもありました。いくつか興味深い視点があったのですが、なかでも、地下では根でつながっている植物の視点から人間を見れば、本当は人間も根のところでつながっている。と、そう言われてしまうのではないか、という問いは面白いと思いました。ユングの集合意識やシュレーディンガーの思想を彷彿させるところがあります。
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不可解な結末

映画を見て結末がよくわからなかったので原作で確認してみた、という経験は無いでしょうか。その結果、原作と小説で内容が異なっていることもありますし、場合によっては余計に分からなくなることもありえます。その典型がロマン・ポランスキー監督の『ナインスゲート』でした。原作は、もうご存じの方も多いかと思いますが、アルトゥーロ・ペレス・レべルテ著『呪のデュマ倶楽部』です。
 主人公が、一匹狼の古書ハンターという設定は、個人的な好みからも魅力的ですし、不案内な洋古書の世界を垣間見られる楽しさもあります。イバラ版のセルバンテス『ドンキホーテ』のシーンが記憶に残りました。そして何といっても、秘密の鍵を握るのが稀覯本というのでは見逃せない内容です。この作品の場合、映画と原作は別物としてそれぞれ楽しむのが正解ということでしょう。私もお陰で、アルトゥーロ・ペレス・レべルテの他の作品にも興味がわき、読書の幅が広がりました。
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「清明の書」

カバラの基本書に、「清明の書」というものがあります。ショーレムが論文テーマにした本ですが、邦訳がないので、フランス語版の、«La Bahir»をときどき拾い読みしています。非常に興味深いものがあります。何が興味深いかといいますと、同じ古典でもギリシャ哲学系と真逆な印象があり、言語の用い方が全くことなるからです。むりやり印象論で言いますと、詩の論理を、説明や対話に用いている呈があります。また、結論は最初からあって、聖書の引用は、その説明に合わせて用いられているようです。
 こうした基礎書は、中国思想の老荘、インドのヨーガ、マハラジ等のいわゆる覚醒者たちの言葉と根本のところで通ている感触があるのも面白いです。
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『ダーウィン自伝』

まだ未読で読んでみたい本に『ダーウィン自伝』があります。進化論全般に興味があり、今西錦司の本をよく読んでいたのですが、最近、類書を読んでいると、どうもダーウィン自身は、無神論的ダーウィン主義者とは異なる世界観の持ち主のようなのです。何を読んだらよいか探しているうちに本書に行き当たりました。ちくま文庫にありますが、単行本の発行年は1972年と随分古くから出ており、やはり物事、色眼鏡で見るものではないなと思いました。「ダーウィン主義者の自伝」と勘違いし、目にしても手に取らずにいたのだと思います。
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深煎りコーヒーの味

ボードレールの≪ Les fleurs du mal ≫、「悪の花」は、邦訳を拾い読みしても、なかなか通読できない詩集でした。従来から、翻訳がいくつかありますが、原光の訳があることを知りませんでした。『夜のガスパール』を愛読しているので、同書に原訳があるのを知っていたのですが、「悪の花」に、行きあたることがありませんでした。
 それが、少し前に急にこの詩集を通読したくなり、丹念に探して見つけることができました。サボテン叢書が出版した『ボードレール精髄』という一冊です。こいつを持って、東京の西の方にある文学カフェを2軒はしごしました。休日の一日じっくりと読み込み、おかげで、念願の通読を果たすことができました。とても「深煎り」の味わいです。
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『中国語四声の法則』

誰か、中国語の四声について理論立てて考察している人はいないかと思っていたところ出会ったのが陳鳳鳴著『中国語四声の法則』です。学習書ではなく、理論的仮説を会話形式で説明した本ですので、よく内容を咀嚼してからではないと、直ぐに応用に結びつけるのが難しそうですが、他に類書を見ないので貴重な一冊だと思います。
 中国語の文字に関しては、白川静の本を読んでから漢字の一つ一つから物語を読み取ることが可能と知り感激したものです。ただ四声については至極大まかな傾向を人づてに耳にしたことがあるぐらいのものでした。この本も一種のエスノ・サイエンス(文化的文脈に基づく科学)ではないかと思います。
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虫の話

夏に虫はつきものですが、瀬川千秋著『中国 虫の奇聞録』には、いままで聞いたことがないような、虫にまつわる伝奇が紹介されています。なかでも私が好きな話は、蟻使いに関する見聞です。大道芸人よろしく蟻つかい師が、仕込んだ蟻たちに芸をさせるというものです。メーテルリンクの『蟻の生活』に、二匹の蟻が互いを甘噛みしながら戯れている様子を観察したことが紹介されており、伝奇もまんざら、全くのデタラメではないかもしれないと夢想したりします。もう一つの可能性は、一種の幻術だったという線ですが、これはちょっと興覚めですね。
 しかし現実の世界にも立派な虫つかい師が存在します。河合浩樹著『虫たちと作った 世界に一つだけのレモン』を読むと、著者が虫の生態を活かしてレモンの無農薬栽培を、いかに成立させたか、その経緯が分かります。こう、ひとことで書いてしまうのが申し訳なくなるほど、探究心と根気の必要な取り組みだったことが垣間見られ、著者のガッツに頭が下がる思いがします。
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見つけられない本

7/5付けのコラムに「見つけにくい本」考を書きました。その時は年代を切り口にしましたが、ジャンルでもあるようです。トマトスープ著の漫画『天幕のジャードゥーガル』を読みました。13世紀、モンゴルが中東に支配を広げた際、捕虜となったファーティマ・ハトゥンを主人公にした作品です。歴史だけではなく、当時の科学や知識の伝搬のようすが垣間見られ興味深いものがありました。
 もう少し背景知識を深めようと思い、同時代を舞台にした小説を探したのですが、その結果、ペルシャを舞台とした歴史小説がおどろくほど寡少で、そもそも日本ではジャンルとして存在していないことを知りました。おそらく東洋文庫で参考文献を探した方が早そうに思います。漫画には他にも森野秀樹著『ビジャの女王』がジャードゥーガルに続く時代を背景に、ペルシャとモンゴルの対立を描いており、どうやらこの分野では小説の先を行っているようです。
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お鷹さま

家の中で、小さな、クモを見かけることがあります。その時、いつも思い出すのが、江戸時代に、蜘蛛を鷹に見立てて、ミニチュア版の「鷹狩り」をホビーにしたという逸話です。「お鷹さま」と呼んで、蜘蛛を大切にしたとのこと、呼びかけ方が面白いので、私も見かけたクモに、「お鷹さま」と無言で念を送ってみます。特に反応はありませんが、そう呼びかけてみると愛嬌を感じるので不思議なものです。昔から、虫もの、のエッセイや物語が好きで、光瀬龍著『ロン先生の虫眼鏡』(エッセイの方です)、奥本大三郎著『虫の宇宙誌』は随分と読み込みました。最近では、村上貴弘著『アリ語で寝言を言いました』が面白かったです。アリにも、言葉があるという仮説ですが、7/13付けコラムでご紹介したメーテル・リンクの話を彷彿させます。
 もっとも、学問的な分類では、クモは昆虫ではないそうですが。
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酒茶論

暑い夏には水分補給がかかせません。ある時、倉橋由美子の小説を読んでいて、世の中に「酒茶論」というものがあることを知りました。唐宋や明代の中国の通が、酒派とお茶派に分かれて、それぞれの美点を挙げて競い合ったというものです。どちらも甲乙つけがたいものがあるでしょうが、私の場合は断然お茶派です。お茶であれば、続けて飲んでも味覚が狂うことは無いでしょうし、微かな味わいや余韻を感じるためには、やはりアルコールは邪魔になると思います。と言い始めた時点で既に「酒茶論」に巻き込まれているわけですが。原典でいうと、東洋文庫から『中国の茶書』が出ており、お茶派にとっては都合が良いようです。
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古代語のロマン

大昔に手に入れたはずのの本が見つからず、再購入しようと検索すると新本で品切れになっているばかりか、古本でとんでもない値段がついていることがあります。図書館に所蔵がある場合は、少しばかり遠くても閲覧にゆきますが、幸運にも再捜索して見つけ出す場合もあります。そうすると、安心してまたツンドクに戻してしまうのが我ながら不思議です。個人的に古代語やその他語学関係の本にその傾向があります。いわゆる「マイ・ブーム」が長い時間をかけて断続的に繰り返すわけです。いまどき、内容的にはインターネットで検索すれば済んでしまう部分もあるのですが、やはり本で読みたいと思うのは一種のまじないみたいなものでしょうか。
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『マトリクス』とは別のトリニティ

商店街の古書店で、ハードSF作家、堀晃の小説文庫を見かけ、古い友人と再会したような懐かしさを覚えました。『梅田地下オデッセイ』『太陽風交点』『恐怖省』等、何度読んでも飽きませんでした。堀は、情報の重要性や電算機の進化を、いち早く作品に取り入れた作家です。コンピュータと接続された情報省の役人など、そのうち実現するかもしれません。
 同作家の宇宙ものには、トリニティという結晶生命体が登場し、人間をサポートするのですが、現実世界においては、ようやくAIがその萌芽を見せ始めたといったところでしょうか。まだまだ、作家の発想に追いついていないようです。
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再会の楽しみ

国会図書館で調べものをしたついでに、7/4付けコラムでご紹介した、「夏の旅人」をデジタル版で閲覧してきました。40年近く前の小説ですが、全く古びておらす久しぶりに楽しめました。ふと思って、同時代に読んだ別の好きなSF作家を検索してみました。水見 稜著『マインド・イーター』です。あたかも海外SFを翻訳した風の文体が面白く愛読していたのものです。SFの真骨頂のような世界観を構築した作品で、初読の際、マインド・イーターという設定は、ホラー小説以上に恐ろしと感じたものです。
 10年以上も前に「完全版」が出版されていることを知り、読んでみたくなりました。確か、「サックス・フル・オブ・ドリームス」等、文庫に入っていない短編がありましたが、再編集したのでしょうか。それとも、マインド・イーターとの決着がついたのでしょうか。読むのが楽しみです。
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無人島に一冊の本

「無人島に一冊だけ本を持って行ってよいとしたらどの本を選ぶか」という古典的な問いがあります。ある人は聖書と答えたり、ある人は辞書と答えたりします。ちょっと近いような経験があったのですが、その時は、あまり良い答えが浮かびませんでした。暇つぶしには、娯楽が欠かせないのですが、エンターテイメント系の方は、いくら面白くても同じ本を直ぐに繰り返して読むには耐えません。古代語の語学書はわりと時間稼ぎができると思いますが、その後が続きません。「荘子」もいいかなと思ったのですが、分かった気になって終わりそうです。
 ちょっと考えてみて、思いついたのは、読書だけで終わらないもの、生涯続けられるような何かの実用書がよいのではないか、という観点です。これからすると、仏教系の瞑想の本か、ヨーガの実践解説書のようなものが適当かと思いました。この二つであれば、一つの人生という射程に収まり切らない内容を含んでいるかと思います。
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古書が運ぶもの

歴史上の場所で、どこか一か所だけゆくことが可能だと言われたら、真っ先に思い浮かぶ行き先はアレキサンドリア図書館です。ですが、折角そこに行って巻物や羊皮紙本を手に取ったとしても、中身が読めないのでは意味がありません。では仮に古代語や古い表記をいくつか身につけていたとして、いざ記録や文書を読み始めると、今度は理解の問題が出てくるでしょう。話の前後をある程度つかんでおく必要があります。テーマを絞りこんでおかないと無駄に過去に行くことになります。
 現代においてある程度研究が進んでおり、パズルのピースが足りないものや、伝聞でのみで伝わっている書について前知識を付けておけば、ある程度の成果を得るかもしれません。しかし、全くの埋もれてしまった知恵や知識に関する書に関しては、お手上げです。こうして考えてみると、一冊の本が過去から残って来ていることの重要さを、改めて感じます。
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ホラーの本質

暑い夏の夜には怪談がつきもの、ということで、古典を切り口にした雑感です。願い事が適うが代償を伴う、若しくは不幸な結果を招くという筋の「猿の手」は、後代に様々変奏され、恐怖小説の一つの古典パターンを提示した短編だと思います。有名どころでは、スティーヴン・キングの『ペット・セメタリー』などが該当するでしょう。「人間万事塞翁が馬」で幸不幸は測りがたいものとされますが、この話は、ことさら人生の不幸に焦点を当てデフォメルした話とも受け取れます。もっともこれは、ホラー小説全般に通じることですが。
「猿の手」をネガとすると、では残ったポジの話はどこに行ったかが気になります。民話や昔話にありそうですが、いつか見つけたらコラムで採り上げたいと思います。
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作家の幸せ

シャンソンで有名な「オー・シャンゼリゼ」と歌い出す曲は、原曲がイギリスのウォータールー通りを歌ったもので、売れないサイケデリック・バンドが商業路線で、不承々々に歌い出した曲だった。という話を聞いたことがあります。この、不本意ながら作った作品が思いがけず大ヒットする構図は、小説の世界でも見掛け、その好例が筒井康隆の『時をかける少女』です。同作の誕生経緯について、筒井が、ジュブナイル小説の依頼が来てテンションが下がった旨吐露していた記事をいくつか見たことがあります。また、功なり名をとげた作家が、いざ本当に書きたかった小説を出したところ今一つの結果に終わったという顛末もあります。作家としてどちらが幸福なのでしょうか。作品の流行は時代によって変わるものという観点にたてば、慌てて結論を出す必要のない問いなのかもしれません。
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幽鬼について(その1)

エッセイストの工藤美代子は、志怪小説風に言えば、自らが見鬼だと打ち明けており、体験談を本にもしています(例えば、『もしもノンフィクション作家がお化けに出会ったら』)。一方で、ラマチャンドラン著『脳のなかの幽霊』等では、そうした事象は、幻視や錯視として説明が可能であり否定派の論拠となっています。どちらが本当なのでしょうか。数学の集合風にいうと、もちろん重なりの部分があり、科学的に説明可能な事例はあるはずです。
 変化球を投げるとすると、スタンフォード大学のハロルド・パトフ博士は、アニー・ジェイコブセンのインタヴューに答えて、とある物理実験の最中に中空に「腕」だけ現れ騒ぎとなったというエピソードを紹介しています(『ペンタゴンの頭脳 世界を動かす軍事科学機関DARPA』)。この話は、あるヨーガ行者の見解を思い起こさせます(つづく)。
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幽鬼について(その2)

幽鬼の目撃譚から分かることは何かないでしょうか。出現場所が特定されている。外観が固定されている。話す内容に一定のパターンがある。など。もちろん例外もあるとは思いますが、およそこうした特徴が挙げられるのではないでしょうか。前日のコラム(7/25付)で言及したヨーガ行者は、自身が感得したところ幽霊とは、例えていえば「データ」のようなもので生者と異なり「実相がない」と指摘しています。
 我々を取り巻く空間には、まだ良く解明されていない性質があり、ある種のこうした「データ」をあたかもコンピュータのように保存し、プログラムのように実行出来ると考えたらどうでしょう。幽鬼は、その性質上、AIによる疑似人格と似ているのかもしれません。一番異なる点は、AIが論理で構成されている一方、幽鬼は感情を基本としているという点でしょうか。
 AIを論理のお化けと考えると、何だかとたんに薄気味悪くなり、幽鬼を感情のAIと考えると少し親しみがわく気がします。言葉を入れ替えただけですが不思議なものです。
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スライダーで時間旅行

ジョナサン・レセムの『マザーレス・ブルックリン』は、いわゆるノワール・クライムに分類される探偵物の小説で、2019年に映画化された作品です。私はまず、映画の方を見て、台詞が面白いと思ったので、原作のペーパー・バックを購入し読んでみることにしました。すでに映画で雰囲気をつかめたこともあり、英語ならなんとかなるだろうと思ったのです。しかし、思惑は外れ、1950年代アメリカの風物、スラングや言い回しに、手こずり、なかなか読書が進みません。映像ではすんなり頭に入るものが、文字表現だと逐一調べる必要があるのです。
 一方で、ささやかな収穫もあります。街角で張り込みをしている探偵二人組が、腹ごしらえに人気店の軽食を買って食べるシーンがあるのですが、そこに「スライダー」というものが登場します。よくよく調べて、それが手のひらサイズのハンバーガーを指すことを知りました。すると、50年代アメリカの街角イメージも少しふくらみ、少し、時間旅行をしている気分になることが出来ました。
 スライダーは、国内でも扱っているバーガーショップがあるようです。
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図書館本の意外性

図書館の片隅にある中国古典文学のコーナーで『平妖伝』を見つけ、読み始めました。何気なく眺めながら手に取ったものですが、おそらく図書館ではなければ出会えなった書籍だと思います。大型書店は合理化が進んでいますし、古書店の店舗で全集を見掛けることは無くなりました。図書館には、大型書店や古書店にない意外性があることに気付いた次第です。
 まだ、3話ほど進んだでけですが、『三国志』(7/1付コラム)がかなり堅い内容でしたので、今度は、大分リラックスして読み切れそうです。
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ラッキーカラー

占いで、水色がラッキーカラーと出た日、日向 夏の『トネリコの王』を買いました。日帰り旅行の際、行き先の古書店で見つけたものです。ジャケ買いならぬ、ジャケ色買いで、内容も知らずに手にしたのですが、帰りの電車で楽しめました。ラノベの世界は、全くの不案内なので、良いきっかけができました。続いて、同著者原作の漫画『薬屋のひとりごと』を読み始めています。
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インターネットで宇宙旅行

現在で、もっとも正確な宇宙の姿を見たいと思いたどりついたのが、ブルーバックスの『4次元デジタル宇宙紀行Mitaka』です。同書は、国立天文台による4次元デジタル宇宙プロジェクトを紹介した新書です。同プロジェクトでは、様々な天文観測データや天文理論に基づき、特定時刻における宇宙の姿をデジタルで再現可能とし、一般公開しています。自宅でプラネタリュウムが楽しめるだけでなく、インターネットで宇宙旅行が可能な優れたツールです。夏の夜の楽しみに如何でしょうか。
⇒国立天文台プロジェクトリンク
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『ファーブル昆虫記誰も知らなかった楽しみ方』

本書は、昆虫写真家の海野 和男が、南仏にファーブルの生家を訪れ、この著名なナチュラリストの人となりと、『ファーブル昆虫記』の全巻に渡る概要をまとめたエッセイです。多様な昆虫の写真と共に、ファーブルの小史と著作のエッセンスが楽しめます。
 ファーブルという人物は、身近な空間にある小宇宙の存在に気づき、生涯のテーマを追及できた何とも素敵な人生を歩んだ人物と思います。本書により、彼がミストラル同様、オック語の詩人であったこと、昆虫だけでなく、キノコにも造詣が深かったこと、など知りました。完読したい全集の一つに『ファーブル昆虫記』が加わりました。

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