ひと頃、キノコ採りの上手な知り合いに連れられ、毎年のようにキノコ狩りをしていた時期がありました。お陰で、「きのこ眼」が養われ、摘んだキノコのうち七割方、食用キノコを見分けられるようになりました。といっても、この確率では到底安心できませんので、知り合いに選別してもらった上で、更に、地元の名人鑑定を経て、ようやくお土産にすることが出来ました。キノコは図鑑の写真と、実際の植生が異なるため写真はあくまで参考にしかなりません。それでも、何でも取り掛かりが必要ですので、有名処のキノコをコンパクトにまとめた本は無いものかと、以来、気にかけていました。
本書は、その期待に見事に応えてくれた一冊です。秋のお伴に、おすすめの一冊です。
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19世紀の前半に活躍したフランスの作家シャルル・ノディエは、ロマン主義では、ユゴーやデュマの先輩格にあたり、フランス幻想小説の祖として知られています。ノディエは、ナポレオンが台頭した頃、王党派として山野に逃亡し、かくまってくれた先々の炉辺で、地域の伝説や幻想譚を聞き集めたそうです。その内容は、≪ Contes de la veillée ≫としてまとめられました。よりすぐった短編を邦訳した『炉辺夜話集』は、本邦では、いわば古書の定番ともなっています。
ここまでは、現実に存在する本ですが、がぜん興味が湧くのは、ノディエの逃亡生活ぶりと、炉辺で古老の話に聞き入る姿です。フィクションでもよいので、読んでみたいと思います。また、ノディエは、昆虫関連の小論を書いていたようで、こちらにも興味が引かれます。原文が存在しますので、気合を入れればなんとか読書を実現することが可能です。
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ボードレールは、ベルトランの『夜のガスパール』に啓発されて『パリの憂鬱』を着想したと言います。しかし、それはベルトランが発想した散文詩という形体に影響を受けたもので、作品自体の傾向は全く異なるものでした。ベルトランが古き良きディジョンの街を幻視して詩にしたためた一方で、ボードレールは、変わりゆくパリの街の現在や人々の姿をレポートするように詩に描いたのです。
もし、ボードレールが、19世紀の都市改造以前のパリを、ベルトランのように追憶的な散文詩で描いたとしたらどんなものになっていただしょうか。存在したら読んでみたい書物の一つです。
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かつて、スペインにあるダリの美術館を訪れたことがあります。展示の質と量に圧倒され、ダリは多産な芸術家だったのだなとの印象が残りました。お土産に、彼の書いたタロットカードの図版集を買って帰りました。
さて、この占い道具のタロットカードですが、その起源には様々な説があります。例えば、こんな伝説です。かつて世界の秘密を解明した書がアレクサンドリア図書館に所蔵されていました。ところが同図書館が火災に見舞われたり、戦乱で破壊されたりする内に、その本は、バラバラにされページの順番が分からなくなりました。後に復元しようとページ合わせをするうちに、それが占い法になったというものです。
もちろん、専門家の間では、この伝説は後代の偽説であるとされているのですが、もしオリジナルの書籍が存在していたのだとしたら、読んでみたいものです。
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以前、コラム(7/8付け)でとりあげた『呪のデュマ倶楽部』では、『影の王国への九つ扉』の著者として、トロキアという創作上の人物が登場します。作中、トロキアは17世紀に存在し、ヘルメス書に引用があるとされる『デラメラニコン』("Delomelanicon")を読み、著書をものしたと紹介されます。『呪のデュマ倶楽部』の影響で、何人かのファンが、実際に『デラメラニコン』というタイトルの本を出版していますが、もちろんオリジナルは創作上の産物です。
こうしてファンたちのダークな心を引き付けるこの本は、一体どんなものなのでしょうか。作中では、堕天使ルシファーが自ら書いたとの噂があり、実践的な召喚魔術の書とされています。しかし、『呪のデュマ倶楽部』や映画『ナインス・ゲート』の登場人物の災難や不可解な結末をみる限り、どうもこの本は人間の欲望につけこんだ、トラップのような印象を受けます。君子ではありませんが、危うきには近寄らずということで、たとえ存在したとしても読みたくない本の一つです。
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前日のコラムと系統が似た古書、稀覯本として、『ネクロノミコン』("Necronomicon")があります。いわずと知れたラブクラフト作品で頻繁に登場する魔道書ですが、こちらは8世紀頃にアラビアの作家が書いた物との設定です。現実においても『デラメラニコン』と同様、後代のラブクラフト・ファンの作家が、同タイトルの本を出版しています。
この『ネクロノミコン』は、魔物を召喚するツールとして利用可能なようですが、わざわざ、そのような物を召喚せずとも、人間には充分に「魔物」の要素があり、屋上屋根を重ねる必要もないと思われます。もし机の上に『ネクロノミコン』と『ファーブル昆虫記』が並んで置かれていたとしたら、私は、間違えなく『ファーブル昆虫記』の方を手にとるでしょう。
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ネット上の英語サイトで見掛け、ちょっと気になっていた単語に、"mind-boggling"という形容詞があります。これは、あまりに驚愕的で、思わず後ずさりしてしまうような事物を指します。なぜ、気になったかというと、語感が面白く、意味を調べずとも何となく雰囲気がつかめるものだったからです。調べた後で、やっぱりそんな感じだよな、と腑に落ちた次第です。そこで更に語源を調べてみたところ、ゴブリン(goblin)とか、ブギー・マンのブギー(bogy)などと関連があるようで、中世英語、ウェルズ語、スコットランド語から来ているようです。三つとも、"g"、"o"、"b"、の文字が含まれている点が興味深いと思います。ゴブリンもブギー・マンもあらかじめ知識としてあったので、無意識の連想が働いたのでしょうか。
しかし、日本語においても、"g"音、"b"音を持つ名詞で、すぐ思いつくものに「ビックリ系」があると思います。外来系を含めれば更に多くなるでしょう。なんとなく、この辺の語感は日欧で共通しているような気がします。
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本書は、森清範(清水寺貫主)、増川いずみ(工学博士)、重富豪(アーティスト)の鼎談および増川のエッセイからなる書籍です。文化、科学、芸術のそれぞれの視点から、近代科学の視点から抜け落ちてきた、「水」の持つ重要な意義について語っています。三者に共通するのは、水自体が生命を持つ存在だと認識している点です。以前ご紹介したシャウベルガーの考え(8/31付けコラム)に通じる、重要な話と思われます。重富がうつしとった水流紋が写真で二点ほど掲載されています。それだけでも一見の価値があるでしょう。
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十数年前にニューヨークに旅行したときのことです(8/29付けコラムの更に以前の体験です)。当時はまだ、バーンズ・アンド・ノーブルが店舗を普通に運営しており、作家の朗読会など旺盛にイベントを実施していました。幸運にも、愛読していたポール・オースターが、その年に『インヴィジブル』という小説を発表しており、同店でサイン会が開かれているところに、たまたま居合わせることが出来ました。
早速、本を購入して列に並びました。順番待ちの間、とりあえず記念に何か話しかけようと必死で文章を組み立て始め、思いついたのが「あなたのストーリーにあるように偶然の導きで、ここに居合わせることができました」というものです。オースターは、ユングの共時性に興味を持っており、それを小説世界の設定に用いたことをエッセイに書いていたのです。
ようやく順番が来たところ、サインと併記してもらうため、自分の名前をローマ字読みで伝えながら、頭の中で必死に何度も反復していたメッセージを伝えてみました。優しそうな表情のオースターと眼が合いました。「何となく伝わったかな」といった反応でした。以来、その本は書棚に大事にとってあります。
(「想い出の本(その1)」は、8/19付けコラムにあります)
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読書を通じて興味をもった人物や、その本の源典がドイツ語圏に属していることが、ままあります。私的には、特に20世紀初頭の知的動向に関する本にその傾向があります。これまで、ドイツ語がわかれば重宝するのにと思った場面が何度かありました。無謀にも、独学に挑戦したことがあるのですが、文法書から入ると最初の数課に目を通して放り出してしまうのが関の山です。そんな中、本書だけは通読することができました。
平易な単語本としては、ゴロを用いるものをしばしば見掛けます。それも悪くはないのですが、主要単語の数を網羅しようとすると、どうしても強引さが目立つようになります。そして強引なゴロ合わせ程、覚えにくいものはありません。その点『ゲルマンQ』は、ドイツ語起源のカタカナ言葉からドイツ語に親しもうという試みで無理を感じません。雑学よみ物としても面白いお薦めの一冊です。
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漫画『星旅少年』を読んでいます。まだ一巻目ですので、作品世界の詳細はわかりませんが、地球ではないどこかの星々の人々の話のようです。この星系では、ある理由から人々が「覚めない眠り」に陥り、一つの星の文化が途絶えてしまうような現象が存在します。主人公は、そうした記憶を保存する仕事をなりわいにしています。
シリアスな問題を抱えながらも遊び心の詰まった静謐な空間を、かわいい乗物で自由に行き来する作品世界を逍遥できます。秋の夜長のひと時を虫の音を聞きながら過ごしたいときに、お薦めの一冊です。
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映画『見えるもの、その先に』を鑑賞しました。これは、ヒルマ・アフ・クリントというスウェーデン女性の画家を紹介した作品です。ヒルマは、19世紀末から20世紀前半に掛けて創作活動を行い、カンデンスキーに先だって抽象画という表現方法に気づき旺盛に作品を残して行きました。彼女の画家としての特徴は、スピリチャルな世界に通底した作画に自覚的であった点です。シュタイナーとも交流があり、ある意味シュタイナーの先を超して絵画という実践で精神世界を表現した人物ともいえるでしょう。
市場優位かつ事実上男性優位の欧米の芸術世界で、芸術史上埋もれていたヒルマは、近年注目を浴び始め、意識的な評論家たちから評価を受けています。こうした政治的状況はさておき、画像とはいえ実際に彼女の作品を目にすると、いわゆる有名処の抽象画と比較して、直接魂にうったえかけてくる何かを感じます。機会があれば実物を鑑賞したいものです。ちなみに画集は海外からの取り寄せが必要とのことです。
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コラムでこれまで何度かボードレールについて採り上げてきました。ボードレールに関して、一つ疑問に思っていることがあります。彼は、科学者でもあり霊能の大家でもあるスウェーデン・ボルグを高く評価しておいます。そして、審美的に解釈したスウェーデンボルグ思想を『悪の花』の詩作に用いたといわれており、事実、そのキーワードをタイトルにした詩を書くことまでしています。しかし、『悪の花』という詩集全体を読み通しても、正直な処、素人目には、スウェーデンボルグに対するオマージュをそこから感じとることができません。あくまで個人的な感想ですが、ボードレールに関する読み物で「勉強」して、初めて両者の関係を知った次第です。
ボードレールが、スウェーデンボルグ思想をどのように受け止めていたのか、今後、当コラムで不連続ながら随意考察してゆきたいと思います。
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街の古書店で本書を見掛け、かつてテレビ放送で、古典落語を見ながら大笑いしていたときのことを思い出しました。何がそんなに可笑しかったのか確認したくなり手に取ることにしました。一通り目を通したところ、さすがに細部までは、覚えていませんでしたが、話の筋は、だいたいのところ記憶にあるものでした。文字情報だけですと、なかなか臨場感の再現とまでゆかなかったのが残念です。一方で、詳細な注記により、映像だけでは分からない背景を知ることができるのは、やはり書籍のメリットだと思いました。
「松山鏡」という題目があるのですが、一説に宋代のエピソード集『北夢瑣言』に元の話があるとのことです。『北夢瑣言』は、中国古典の奇譚に凝っていた頃、何か珍しい話はないかと拾い読みをしてみたことがあるのですが、さすがにそこまで気がつきませんでした。「松山鏡」の枕話には、オリジナルとして水たまりに映った自分の姿にお辞儀をした娘の話が紹介されていましたが、これは話を短く収めるために端折った創作との印象があります。
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思うところあって、易経をすこし深く学ぼうと新釈漢文大系の『易経』上巻に手を出したのですが、まだ通史の段階で見事に挫折しました。易の概要に関しては、文庫本の入門書のようなもので、ある程度イメージをつかんでいたのですが、本格的な話になると教養が不足し読書が続きません。ただこの占いには、以前どきりとさせられた経験があり、端倪すべからざるものと認識しています。
類書の付録に簡易版のページ占いがついている文庫本があり、それは任意のページを開くことで易占ができる便利なものでした。ある時、容易に占えるのをいいことに、良い卦が出るまで何度もページを開き直していたのですが、突如「盲童我に問うなり、我答えるにあらず。さいさん卦すれば、けがれる」と易にたしなめられてしまったのです。もちろん適当な確率で出てくるメッセージではあるのですが、こうした偶然は、単なる偶然では無いというのが占いの本意ですので、以来、この手のものは一度引いたらそのメッセージをよく吟味することで満足するようにしています。
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共同古書店PASSAGE by ALL REVIEWSに出品中の古書に関してオンライン販売を開始しました。下記もしくはホームページのリンクから出品中の本の確認が可能です。どうぞ宜しくお願いします。
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フランス人の日本アニメ・オタクは、気合が入っており、完成度の高い実写版をしかもフランス俳優陣で作成するので、驚かされることがあります。数年前に公開された『シティーハンター THE MOVIE 史上最香のミッション』は大いに楽しめる作品で、フィリップ・ラショー監督のファンになりました。
さて、本家日本の『劇場版シティーハンター 天使の涙(エンジェルダスト)』が封切られました。私は、世代的に漫画原作もTVアニメもリアルタイムで見てきたものですが、今回の作品、見ているうちに、前半のおちゃらけモードのシーンにもかかわらず何故だか泣けてきました。作中に「日本で良いものは、古いものだ」という台詞があり、腑に落ちた次第です。
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「自然」とひとことで言ってみても、実際にそれを体験しない限り正体を見ることはできません。しかし街で暮らしながら、「体験してみたいような」自然を見つけることは困難です。そこで、もちろん文字情報には限界がありますが、全く手がかりがないよりは、ましだということで、書物の出番となります。ソローの『森の生活』を読んでみることにしました。
ナチュラリスト系の本を読んていると必ずといっていい程、引用のある本なので、中身も知っているつもりになっていたものですが、タイトルと概要のみ知識にあり、読んだつもりになっていた本の典型でした。しばらくウォールデン湖畔の森で楽しめそうです。
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7/15付けコラムでご紹介したトマトスープ著の漫画『天幕のジャードゥーガル』の三巻が出ました。これはカフェで珈琲でも飲みながら、じっくり読みたいタイプの作品ですので、少しづつ読み進めています。
毎回、作品に登場する古典籍に注目しているのですが、今回は、ジャービル・イブン・ハイヤーン著の錬金術関連の物でした。作品自体の舞台は13世紀ですが、ジャービル・イブン・ハイヤーンは、8世紀後半から9世紀初頭に実在した人物のようです。漫画でも言及されていますが、後に薬害として批判される外丹術が中国で注目された頃でもあります。
他方、錬金術には、後に化学として「洗練」されてゆく原型も、その中にあったことを科学史が伝えます。「サイエンス」は、古代ギリシアからアラビアを経由して西欧に流れてゆきました。こうした歴史を実感できる点も、本作品の面白い処です。
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本作は、昨日コラム(9/19付け)でご紹介した漫画『天幕のジャードゥーガル』著者が推薦していたものです。実在した14世紀のイスラムの知識人、イブン・バトゥータが登場します。イブン・バトゥータは、何十年も掛けて世界中を旅し、旅行記に記したことで知られています。漫画では、彼とその伴の使いの奴隷が旅先で、さまざまな体験をしながら土地々々の食を味わい、読者に紹介するという構成になっています。第一話には、ディブスというお菓子が出てきました。
以前のコラム(7/15付け)でも指摘しましたが、イスラムの歴史物は、やはり小説より漫画が先をいっているようです。
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前々からずっと気になっていることに、久住昌原作の漫画/TVドラマ『孤独のグルメ』の決め台詞、「こういうのでいいんだよ」があります。漫画も実写も全て見たほどのファンなのですが、主人公、井之頭五郎の定食屋選び、メニュー選びが思惑通りに進み、B級グルメに舌づつみを打ちつつ、口ずさむこの台詞がときどき気にかかります。なぜ五郎は、「こういうのがいいんだよ」と言わないのでしょうか。
同様の台詞で、世代的に思い出すのは、赤塚不二夫作『天才バカボン』の決め台詞です。この場合、バカボンのパパが「これがいいのだ」と言ってしまうと、やや不気味な感じがします。というのは、大雑把に言えば「これでいいのだ」は「比較級」、「これがいいのだ」は「最上級」を意味するからだと思います。「お日様が、西から登って、東に沈む」のは、通常と異なる世界ですが、「これでいいのだ」とすれば、この場合は「正常な世界」を担保しつつ、「異常な世界」を想定することになります。一方、「これがいいのだ」と言ってしまうと、「異常な世界」一色になってしまう不気味さが余韻に残るのではないでしょうか。とこのように考えると、井之頭五郎は、別にA級グルメを全否定しているわけではないので「比較級」を用いていると考えればよいのでしょうか。
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アニメ『チェンソーマン』のオープニングは、米津玄師のロックをBGMにスタイリッシュでノリのよい映像となっています。結構好みなのですが、しばらく腑に落ちない点がありました。どのシーンも特に本作との関連が見られなかったのです。ところが、ひょんなことからその答えがわかりました。
海外のアニメ・オタクには、ときおり日本アニメを非常にマニアックに分析するファンがおり驚かされます。そうしたマニアが、このオープニングがアメリカ映画を中心とした様々な映像作品の引用から構成されていると動画で指摘しいるものがあったのです。例を挙げると、『レザボア・ドッグス』『悪魔のいけにえ』(これは当然として)、『パルプ・フィクション』『貞子vs伽椰子』『ノーカントリー』『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』『アタック・オブ・ザ・キラー・トマト』『ジェイコブス・ラダー』『コンスタンティン』
『ビッグ・リボウスキ』等々です。中にはこじつけめいたものもありますが、大半は構図がピッタリ当てはまるので、オープニング映像の作者が意図的に行ったものと分かります。登場人物たちが映画を鑑賞しているシーンがあることから、この点は明らかと思えます。
一方で、『レザボア・ドッグス』を例にとれば、そもそも引用されているとされるシーン自体が、マーチン・スコセッシの影響によるものとの指摘が、ダグ・リーマン監督の映画『スゥインガーズ』にあり、同作で意図的にパロディー・シーンとして利用されています。引用のそのまた引用とたどっていくとその先の原点が消失するという話は、ボードリヤールが「シュミラークル」という用語で説明しましたが、これは仏教の華厳世界を連想させます。『チェンソーマン』の第一部は、主人公が関係をもった周囲の人物たちを、たおしまくることで、一旦築いた世界を清算させるストーリーですが、オープニングと無作為に共鳴しているようで興味深いものがあります。
第二部はいったいどのような展開になるか楽しみです。
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9/1付けコラムに引き続きキノコ本のご紹介です。前回がコンパクトな入門書とすると、本書は、蘊蓄の詰まった参考書といったところでしょうか。有名どころのキノコに関して、古今東西の文化的伝承や由来、可食性、医療効果、毒性などの実務的側面などの情報がまとめられた本です。イラストも豊富で、あたかもキノコ狩りをするように、拾い読みを楽しむことができます。もちろん最初からページをめくってみても飽きません。特に目にとまった箇所を引用します。
「イギリスのロマン派詩人サミュエル・テイラー・コールリッジが、18世紀の有名な自由のシンボルであるフリジア帽とシビレタケ属のきのこが非常に似ていると記した時、それは見た目による思いつきでした。このきのこに、『不思議な解放』を誘発する特質があるとは気づいていなかったでしょう」(同書122頁)。
コールリッジの時代の知識人にとって、アナロジーによる類推思考は重要な思考ツールだったわけですが、それが、キノコの性質を言い当てたというお話です。偶然にしては出来過ぎで、興味深いものがあります。
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今年の中秋の名月(9月29日)は、昨年から続いて夜空に満月が掛かる日とのことで、月をテーマにしたコラムを書いてみたいと思います。ちなみに名月は必ずしも、実際の満月日と重なるわけではない由。第一回目は、ジョン・W・キャンベル著(矢野徹訳)『月は地獄だ!』です。
この本は小学生の頃、学校の図書コーナーで初めて読みました。SF小説です。ひとことで言えば、ロビンソン・クルーソーの月面版とでも言いましょうか。月で遭難した宇宙飛行士のメンバーが、限られた資源を用いながら極限の環境で生き残りに賭けるお話です。過酷な物語設定が頭に残り、子供心ながら「これがリアル」というものかと妙に納得したものです。しかし、そうした状況でも人はなんとか楽しみを見つけてゆくという描写があり参考にもなりました。嗜好品が底をつく中で、彼等はウィスキーを凍らせたアイス・キューブを、最後の憩いとするのです。この点『南極料理人』を彷彿させます。
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月にまつわる本の第二回目は、変化球ということで、グルジェフ著(浅井雅志訳)『ベルゼバブの孫への話』を採り上げてみました。これは月について書かれた本ではありませんが、月の起源について言及した箇所があります。著者は、言わずと知れた、グルジェフですが、彼はSF仕立てのこの本で、月の起源について、それはかつて地球の一部だったものが、あるとき天体衝突で地球から断片がもぎとられ、それが核になって出来た、という主旨のことを書いています。これは、近年、月の起源説として有力なものになっているのですが、グルジェフが活動していた頃の定説にはなかったものです。かなり先見の明があったといえるでしょう。
もっとも、管見ながら私が知る異説で一番面白いと思うのは、木内 鶴彦が臨死体験中に観察したとするもので、スノーボール状の天体が地球の引力に引き寄せられ、氷の部分は地球に水として引き取られ、岩で出来た核が月として残ったとするものです。いずれも壮大な説ですが、いつか解明される日がくるのかと思うとワクワクしてきます。
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月にまつわる本の第三回目の今回は、本道の直球にもどり、シラノ ド・ベルジュラック著『別世界又は月世界諸国諸帝国』です。容姿に自信はないが文才のある主人公が恋文の代筆をする話で有名な、戯曲「シラノ・ド・ベルジュラック」は実在の人物をモデルにしたものでした。実在したシラノ・ド・ベルジュラックは17世紀の知識人、作家であり、当時の新知見をもとにした書籍を何冊か書いています。本書はそのうちの一冊です。
特記すべきは月にゆく方法です。まずは、大気循環からヒントをえた露による上昇器的な無理筋ですが、これは失敗でした。次に飛翔機で飛び立つのですがこれも失敗、しかし墜落した飛翔機に、お祭り気分の野次馬が「ロケット弾」をいくつも括り付けたことで、月面着陸に成功するのです。これは、一応「多段式ロケット」の先駆と言えるのではないでしょうか。
岩波文庫の『日月両世界旅行記』(赤木 昭三 訳)で読むことができます。
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月にまつわる本の第四回目は、『月の魔力』アーノルド・リーバー 著,(藤原 正彦、藤原 美子 訳)です。月の満ち欠けが人間の感情に影響を与える。また極端な話として、犯罪率と相関関係にある等の話は、ある程度人口に膾炙されているようですが、私は、本書でこれらのことを知りました。英語で「狂気」を意味する「ルナティック」("Lunatic")の語源が月と関係あると知り面白いと思ったものです。ちなみにフランス語で月は、≪ Lune ≫と綴りますが、やはり似てますね。
狼男伝説もまんざら人間の想像だけの産物ではないようです。
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月にまつわる本の第五回目は、エドガー・ミッチェル著(前田樹子訳)『月面上の思索』です。エドガー・ミッチェルは、アポロ14号の乗組員であり、史上三回目の月面着陸に成功したとされる宇宙飛行士です。アポロで大気圏外に出た宇宙飛行士たちは、その体験の衝撃から事後、様々な人生を歩みました。その模様は、立花隆著『宇宙からの帰還』で詳しく描写されています。エドガー・ミッチェルは、科学、哲学、神秘学に興味を持ち、本書のタイトル通り思索的人生を送ります。これは、現代科学を踏襲した上で、それを包含する思想の枠組みを探究した書だと思います。彼は、超能力研究にも貢献したことで知られていますが、残念ながら本書にその詳細はありません。
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月にまつわる本の第六回目は、松岡正剛著『ルナティクス』です。本書は、月に関して縦横無尽に語った博物誌的な書籍です。古今東西の伝説、文学等の引用は興味の尽きないものがありますが、特に印象に残ったのは、人間が直立二本足走行を始めた起源についての漫談です。アーサー・C・クラークの『2001年宇宙の旅』に登場する類人猿、「ウォッチャー」にヒントを得て、月にちなんだその「仮説」にドギモを抜かれる思いがしました。三〇年近く前に読んだのですが未だに覚えています。ご興味ある方は、ぜひご一読を(姉妹サイト、Ce5isUのコラム(アーカイブ)でも、ネタバレしてます)。
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本日、中秋の明月は、あいにくの曇り空となりましたが、深夜に南天に掛かるようです。雲間ができるとよいですね。さて、月にまつわる本の最終回は、映画『ティコ・ムーン』に登場する創作上の書籍です。
映画は、BD(フランスのマンガ)作家として著名な、エンキ・ビラル脚本のSFです。人類が月に居住を始めた未来に、月は、独裁者による恐怖政治の下にあります。事故で亡くなったとされる伝説のレジスタンス、ティコ・ムーンは、実は生きていた。自由を求める人々は、この噂に希望を託して日々を過ごしていました。そうした中、怪文書のごとくティコ・ムーンの思想本が流布されるのです。
映画のストーリー・ブックは実在し、こちらもこちらで入手が難しく、読んでみたいものなのですが、作中本の『ティコ・ムーン』には、一体、何が書かれているのか、ずっと疑問に思っているのです。月の移住者による思想といえば、『ガンダム』のシャアを思い浮かべますが、両者を比較できたら面白いと思います。
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月に関する本のコラムを書いたあと、そういえば、「太陽に関する本」は、あまり聞いたことがないな、と思いました。少し、調べると在るには、在るのですが、全て自然科学系のものでした。また、小説や歌のタイトルにはよく用いられているのですが太陽そのものへの関心というよりは、比喩としての利用がほとんどです。
よく考えてみると、月の光は太陽光の反射ですし、月がなくとも地球上に生命は育まれたでしょうが、太陽が無ければ無理でしょう。我々は、日々太陽の恩恵を受けているにもかかわらず、文学的興味の大半は月に注がれている気がします。これは日常当然視しているものが真に重要であるという典型ではないでしょうか。
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